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ふらふらしながら、主にWebとVR技術のこと、映画の感想、体験したサービス、気になったことなどに関してゆるく書いていきます。

シリコンバレーっていつ生まれたの?歴史まとめてみた。

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シリコンバレーに来てから、2週間がたちました!

今日でシリコンバレー旅も終わりということで

 

2週間シリコンバレーで暮らしてみて、シリコンバレーはどんな経緯で生まれたのか?」という疑問に関しての自分なりの現状の答えをまとめます。

 

 

目次

・そもそもシリコンバレーとは?

・「シリコンバレー」の語源

・シリコンバレーの特徴

・シリコンバレーの歴史

・まとめ

 

 

 

そもそもシリコンバレーとは?

 

シリコンバレーって何!!?」という方のために。一応。

 

具体的には北はサンマテオ周辺からサンノゼまでの複数の市を指す。「シリコンバレー」という名前の都市は存在しない。シリコンバレーの中心は、サンノゼマウンテンビューサニーベールサンタクララクパティーノなどさまざまな都市である。 元々メンローパークにあるスタンフォード大学出の技術者がヒューレット・パッカードなどのエレクトロニクス、コンピュータ企業を設立し、この大学の敷地をスタンフォード・インダストリアル・パークとしてこうした新技術の会社を誘致したのが始まりともいわれている。また、トランジスタの発明者の一人であるウィリアム・ショックレーがこの地に「ショックレー半導体研究所」を設立し、そこから分化したフェアチャイルドセミコンダクターや、更にそこからインテルをはじめとする多くの半導体企業が生まれたことにちなみシリコンバレーと呼ばれるようになった。

近年では、アップルGoogleFacebookYahooアドビシステムズシスコシステムズといったソフトウェア・インターネット関連の世界的な企業が同地区には多数生まれたためにIT企業の一大拠点となったことで、シリコンバレーはこの地域におけるハイテク企業全体を表すようになっている。

(引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC

説明に困った時に重宝する、 Wikipediaさんの引用です。

 

 

シリコンバレー」の語源

 

 シリコンバレーは、半導体の主な材料となる“シリコン”。そして、カリフォルニア州北部のサンフランシスコ・ベイエリアの南部に位置しているサンタクララ“バレー”とその一帯の地域(サンマテオ、サニーベールサンノゼ一帯)を指していることから、“シリコンバレーと名付けられました。

 

 ドン・フラーが、1971年1月11日にエレクトロニック・ニュースという新聞で、"Silicon Valley in the USA"という題名の記事を書いたのが発端で、そこから徐々にシリコンバレーという言葉が広く使われるようになっていったと言われています。

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(写真:http://www.netvalley.com/archives/mirrors/hoefler/hoefl_86_03_15.jpg

 

 

 

シリコンバレーの特徴

 

先に挙げておくと、シリコンバレーの特徴は

 

起業、事業運営に好意的な規則(ベンチャー企業にとって好意的な法律,規則,慣例)

雇用契約が、At-will employment(任意雇用)になっていて、雇用関係を柔軟に変更しやすいです。

専門化したビジネスインフラ(エンジェル,ベンチャーキャピタルなどの金融,弁護士,ヘッドハンター,会計士,コンサルタント)の存在

全米の40%の投資額がシリコンバレーに集まっていることもあり、投資額が起業しようとしたときに資金が集まりやすく、知り合いや投資家に相談すれば、最適な人材を紹介してくれるという環境が整っています。

知識(情報技術に関する豊富なアイデア)が集約している。

AppleGoogleFacebookIntelをはじめとした企業の研究開発機関をはじめ、スタンフォード大学・UCバークレーなどの大学での研究開発も行われ、オフィス内の食堂、投資家向けのピッチや、カフェでのささいな会話などあらゆる場面で常に交換されています。

高品質で流動性の高い労働力(才能を引きつける磁石)

近くにあるスタンフォード大学・UCバークレーからの優秀な学生をはじめ、中国・インドなどの優秀なエンジニアが多数集まっています。

結果志向型実力社会(才能と能力により評価)

どこの大学出身か、どのような仕事をしてきたのかなどの経歴よりも、複雑なコードが書けるのか。どのようなサービスを創れるのかを重視します。

失敗に寛容な風土(計算されたリスクテイキングと楽天的な起業家精神

全く失敗したことのない人よりも、失敗から何を学び、次にどう生かそうとしているのかを評価します。

オープンなビジネス環境(開放的なネットワーク)

カフェなどで日常的にエンジニアがサービス案に関して議論している環境があり、注文の列の前後で投資家と起業家がつながることもある。また、困っていたら助け合うという文化が自然と生まれている気がします。

産業と相互に交流する大学や研究機関(双方向に流れるアイデアと知識)

大学敷地内にオフィスを構える企業もあり、学生の企業インターン参加も活発で、企業の研究開発の受託研究も盛んに行っています。

ビジネス,政府,非営利組織間の協力(地域の持続的発展を目指した取り組み)

政府の予算が大学や企業の研究開発期間に提供され、企業の生み出した利益が市の税に反映され、市の財政がしっかりと街の景観保護に利用される。また、景観保持のためのNPOも多く存在しています。

高い生活の質(美しい自然と都会の快適さ)

上記の好循環が働き、街の自然と警官が保たれるように取り組みが行われており、気候的にも年中通して温暖で快晴の日が多いです。

 

などが挙げられます。

これらは、実際に来て暮らしてみて本当にそうだと感じる機会が多かったですね。

 

 

そんな特徴がどのようにして生まれてきたのかをまとめていきます。

 

シリコンバレーの歴史

 

時代をさかのぼって、19世紀中ごろ。

1848ゴールドラッシュが始まり、アメリカ西部への大移動が発生します。

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(写真:https://en.wikipedia.org/wiki/California_Gold_Rush

 

 

リーランド・スタンフォード(1824年~1893年)は、ゴールドラッシュに乗ってやってきた鉱夫に対しての雑貨業を通して財を成し、セントラルパシフィック鉄道を創業した実業家です。彼が15歳の息子を腸チフスで亡くした時、息子のために何かできないかということで所有地である牧場に1891年に開設したのが、スタンフォード大学

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(写真左:https://www.pbs.org/weta/thewest/people/s_z/stanford.htm

(写真右:http://quake06.stanford.edu/centennial/tour/stop5.html

 

 

1900年代初頭。この頃は、スタンフォード大学は、田舎の地方大学という位置づけで、卒業生の東海岸地域(MIT・ハーバード大学などがある。)への流出が続いていました。

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(写真:https://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_Terman

1933年。その当時の状況を憂いた“フレデリック・ターマン”というスタンフォード大学の教授が、当時学生であるヒューレッドパッカードに出会い、スタンフォード大学の研究施設を使っていいよと、彼らをサポート。その後、1939年に彼らがヒューレッドパッカードをガレージで創業します。

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(写真:http://www.pastheritage.org/inv/invA/Addison/Addison367.html

 

 

その後、1941年に、アメリカは第2次世界大戦に突入します。

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(写真;http://financesonline.com/10-most-expensive-world-war-ii-items-objects-owned-by-hitler-churchill/

 

 

戦争に突入してからというもの、アメリカ軍用航空機はドイツ軍にことごとく撃退されます。その理由として、ドイツ軍の高性能レーダーがあることを発見し、敵軍レーダーの解析をするための研究所Harvard Radio Research Labハーバード大学に設立されました。

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(写真:http://gigazine.net/news/20150202-silicon-valley-secret-history/

そのLabの指揮をとることになったのが、先述のターマン教授です。

彼は、西海岸から東海岸に移り、東海岸の構造を思い知ります。アメリカ国防総省が、近くにあるハーバード大学やMIT、企業などに膨大な資金を流し、その資金を使うことで、大学・企業は研究開発を大規模に行うことができていることを実感します。

 

 

大戦終了後、スタンフォード大学に帰ったターマン教授は、Electronics Research Labを創設して、そこでマイクロ波の研究に特化し、スタンフォード大学の研究開発力を高め、1950年の朝鮮戦争時には、NSA、CIA、海軍、空軍の研究パートナーの中心となり、莫大な研究開発費用を獲得できるまでになりました。

 また、ターマン教授は、東海岸での気付きをもとに

「学生の起業促進、大学の知的財産権を起業する学生に移譲する。」

「自身含めスタンフォード大学の教授が関連企業の役員になる、アドバイスする。」

ということを掲げ、スタンフォード大学の技術を周辺の企業やスタートアップに派生させました。

 

 

 1950年代には、スタンフォード大学は多くの画期的な活動を行っていました。その一つとしてあったのが、新たに設立された企業に設備を提供するスタンフォードリサーチパークの建設。戦後の成長期にあってより多くの資金を必要としていたスタンフォード大学は、所有地を長期間リースするというアイディアに行き着きました。企業にとっても事業に協力的な大学を近くに控えた土地の長期リースは魅力的であっため、GEイーストマン・コダックなどが次々とこの土地に進出してきます。

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(写真:https://www.flickr.com/photos/jseita/2669075021

 1950年代~1960年代。ターマン教授の構想通り、スタンフォード大学周辺には主に軍需産業に携わるマイクロ波関連企業が集まり一大産業地となる「マイクロウェーブバレー」が形作られました。

 

 

 この頃から、スタンフォード大学周辺にベンチャー企業を支援するベンチャーキャピタルが生まれ、起業を支援する仕組みが生まれていきます。

 また、アジア・ラテンアメリカポルトガル地域からのハイテク産業、製造業に従事する移民が多数流入し始め、(サンタクララでアジア系の人口が1970年→2020年で43,000人から430,000人と、およそ10倍になっている。)移民の増加に伴い、国としてもVISAの整備を行います。

 

 

 1970年代。インテルに代表される半導体産業。インテルは1973年にコンピュータの動作の基礎となる単純な「オン/オフ」スイッチを数百万、後には数十億も実行することを可能にしました。このマイクロプロセッサはハイテク業界に大きな変革をもたらし、20世紀後半の世界を形作った多くの発明の基として記念されるべき製品であった。これらの結果として、1966 年から1977年にかけて、 半導体産業への従事者は,6,000 人から27,000 人に増大し、サンフランシスコ半島の半導体産業は飛躍的に成長した。そして、1970 年代半ばにシリコンバレーと呼ばれるようになりました.

 

 

 

 1980年代。Appleに代表されるパソコン。1975年、テクノロジー関連の学科で学んでいた数人の学生が「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ」を結成し、家庭用コンピュータを製作する実験に取り組んでいました。このクラブの発起人の一人に、後にアップル・コンピュータを創設するスティーブ・ウォズニアックもいます。

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(写真:http://www.netvalley.com/silicon_valley_history.html

 彼はコンピュータ・ショーで買った安物のプロセッサーを使って最初のホームコンピュータを製作。1976年にウォズニアックは友人のスティーブ・ジョブズとクパティーノにあったジョブズのガレージでアップル・コンピュータを設立。

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(写真:https://en.wikipedia.org/wiki/Apple_I

 同年の4月1日に、Apple Iを発表。アップルに感銘を受けたインテルの元役員マイク・マークラは、彼らに明確なビジネスプランを確立するよう説き、会社が必要としていた資金を提供すると共に自らアップルの役員に就任した。アップルは1977年にApple IIを発表し、その後の成功へ向けての第一歩を踏み出した。

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(写真:https://en.wikipedia.org/wiki/Apple_II

 

 

 1990 年代に入るとハードからソフトの時代へと変化が起ります。1994 年にはスタン フォード大学の院生デビッド・ファイロジェリー・ヤンにより趣味で始められたウェブディレクトリーが、Yahooとして立ち上げられます。また,1996 年にはスタンフォード大学の院生ラリー・ページセルゲイ・ブリンによってGoogleが設立。

 

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(写真:http://dakirby309.deviantart.com/art/Internet-Explorer-METRO-TILE-2000px-338695328

 

 

 2000年代。FacebookTwitterなどによるSNSが広がります。

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(写真:http://en.rocketnews24.com/tag/sns/

 

 

 2010年代。AirbnbUberに代表されるシュアリングエコノミーが広がっています。

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 (写真:http://exclusive.multibriefs.com/content/airbnb-uber-causing-a-seismic-shift-in-business-travel

 

 現在では、サンノゼ・サンフランシスコ一帯にテック系企業が群雄割拠しています。

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そして、2020年代。...??

これからシリコンバレーはどうなっていくのでしょうか。

nge.jp

Googleバイオ事業に大規模な投資をしているなど、バイオ産業は注目されているようですが、他にも介護事業に参入するスタートアップなども出てきているようで、高齢者大国日本に暮らしている身としても、今後の動向を注目したいところですね。

 

 

 

まとめ

 

一般的には1939年に「ヒューレッドパッカードが創業されたこと」シリコンバレーの始まりだとされていますが、上のように見ていくと、シリコンバレーが生まれたのは、スタンフォード大学を創設して、研究施設を創り始めてからとも言えそうですね。

ということは、100年以上の都市開発(とそこでの起業家精神を持った人たちの活躍)の歴史があって、最先端都市としてのシリコンバレーがあるということになります。

 

 

僕の最近の関心は”日本の地方創生”なのですが、日本の地方創生も、100年先とは言わないまでも、長期戦略を描いて、官・民・学が協働して、長期的に取り組んでいくことが重要になってきそうですね。こっちに来ていろいろ調べたことで、学びになりました。

 

「ありがとうシリコンバレー!!」

 

 

それではー。

 

 

(注)この記事に書いてある内容は、あくまで参考程度にしてください。

実際に自分で調べて、現地の人と話してみることを推奨します。

 

 

【参考】

Silicon Valley History & Future

Meet 7 CIOs That Are Creating Smart Cities in Silicon Valley - YouTube

https://en.wikipedia.org/wiki/Silicon_Valley

https://en.wikipedia.org/wiki/Don_Hoefler

シリコンバレー ― ハイテク聖地の歴史

シリコンバレーが世界最高のIT産業の集積地となるまでの知られざる歴史 - GIGAZINE

Silicon Valley Japanese Entrepreneur Network (SVJEN): 第1回:ベンチャーキャピタルとはどんなものか?

http://www.ne.jp/asahi/hashimoto/seikendai/siliconvally.pdf

SVG/IT / ニュース / 情報 / コラム = シリコンバレー・ゲートウェイ =:Silicon Valley Gateway

こんなに違う!日本とシリコンバレーの雇用法の違い! | 中村あきらのAKIRA DRIVE

現地の人々からのヒアリング